2011年7月17日日曜日

宮崎吾朗監督の2作目「コクリコ坂から」は、着実に“ジブリらしさ”が出てきている佳作

ぶっちゃけ興味ない。親が偉大だからって息子もそうだと言えない良い参例だと思う。

「コクリコ坂から」をものすごくざっくりと、誤解を恐れずに流行の言い方で表すなら、「もし宮崎吾朗監督が1960年代の日本を舞台に『耳をすませば』を描いたら」となるだろうか。

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……まあ「耳をすませば」とは根本的に物語の質が違うのだが、いちおう恋愛がメインテーマの一つに据えられていること、そして80年代に少女漫画雑誌「なかよし」に連載されていた同名の作品を原作にしている(そしてかなり改変している)という点で、ジブリ映画の中では同系統に分類される作品である。

「ゲド戦記」に続く宮崎吾朗監督の第2作ということで、どうなることかハラハラしている方も多いと思うが、これが意外にも(というと失礼かもしれないが)きちんとした“ジブリ映画”に仕上がっていた。

物語の舞台となるのは1963年の横浜。港の見える丘にあるコクリコ荘の下宿屋で家事を切り盛りする16歳の海は、あるとき、ふとしたきっかけで同じ学校の少年・俊と出会う。俊は、古いけれど歴史のつまった文化部部室の建物・カルチェラタンの取り壊しに反対し、日々仲間たちと一緒に建物の保存を訴えていた。そんな出来事を通して次第に惹かれ合う二人だったが、ある日思いも寄らぬ試練が襲いかかる――。 1963年が舞台といわれても、もう50年前のことだからピンとこない人が多いだろう。東京オリンピックを翌年に控えた……なんて言われても、もはやそれは歴史の教科書の中の話である。

しかし、そのへんは特に気にしなくていい。いつものジブリ映画同様、時代設定などあってなきが如し。前提知識はまったく必要なく、学園紛争という人によってはちょっと引いてしまいそうな題材もコメディタッチでうまく描かれている。もちろん60年代ならではの“熱”というか、空気感もちゃんとは漂っているので、当時を知る団塊世代以上の方はそのあたりを懐かしむのもアリだ。

驚いたのは、本作がきちんと“ジブリ”だったことだ。たとえばジブリの特長の一つに「大勢の人が一斉に動き回るシーンの躍動感」があるが、本作でもそれはカルチェラタンの大掃除の場面で取り入れられており、巨大な建造物の中で人々が生き生きと働く様は、「ハウルの動く城」や「千と千尋の神隠し」へのリスペクトを感じる出来となっている。

個人的に「ゲド戦記」のイメージが今一つため、今回は良い意味で宮崎吾朗監督に裏切られた形となったが、とはいえジブリ映画としては前作の「借りぐらしのアリエッティ」同様、小粒な印象の作品ではある。

佳作ではあるが傑作と呼べるほどのパンチ力はない、という感じだ。

荒削りなデビューを経て、二作目でかなりそれらしく作り上げてきた宮崎吾朗監督。彼の真価が問われるのは次回作になるだろう。(文:山田井ユウキ)